~あの独り言が、いまの仕事の原点になった話~
あるひとことを、聞き流していた
まだ会社員だった頃の話です。
辺りもすっかり暗くなり、事務所に人も少なくなった残業帯のこと。
当時の上役で、現場をずっと見てきた人が、机で何かの資料を見ながら、ぼそっと言いました。
「赤は見えねえから、使わねえで欲しいんだよな~」
誰かに向けた言葉ではありませんでした。完全に独り言です。
私はそれを聞いて、「ああ、あの人は色弱なんだな」と思いました。本当に、ただ一瞬思った。それだけです。
私たちの世代は、まだ学校で色覚検査がありました。だから色の見え方には人によって違いがあること、見えにくい色がある人が世の中にいることは、知識としては知っていたんです。
※現在は多様性への配慮が進み「色覚多様性」と呼ばれることもありますね。今回の記事は当時の記憶の再現ですのでそのまま記載しております。
そしてそれが、将来の自分の仕事に結びつくなんて微塵も思っていませんでした。
装飾ではないデザインがある、と知った日
その後、私はデザインの仕事に戻り、独立しました。
正直に言うと、独立した当初の私は何の配慮もしていませんでした。
チラシ作ります、パンフレット作ります、ロゴ作ります。そういうスタートです。
色の見え方のことなんて頭になく「どうしたら今風のオシャレなデザインになるか」ばかり気になっていました。
あるとき、たまたま見かけたチラシで、「伝わるデザイン」の説明会があることを知りました。ユニバーサルデザインについての内容で、特に強い動機があったわけではなく”何となく行ってみた”という程度。
そこで話されていたのは、私がそれまで「デザイン」だと思っていたものとは、まったく違いました。
見た目を美しくする話ではないんです。情報のユニバーサルデザイン。伝える側と受け取る側のあいだで、情報の伝達を円滑にする。伝えたことと受け取られたことのズレを、なくしていく。そういうお話し。
私がデザインという仕事に求めていたものは、たぶんこれだったんだ!とハッとする思いでした。
そしてその瞬間に、あのひとことが戻ってきたんです。
「赤は見えねえから、使わねえで欲しいんだよな」
あれは、独り言ではなかった。書類を前にして、実際に困っていた人の声だったのだと、何年も経ってから、ようやく本当の意味を理解することになりました。
色がなくても分かる、ということ
そこで私が考えたのは、こういうことでした。
「もし前職の工場の作業資料や営業資料に、ユニバーサルデザインの考え方を持ち込めたら、どうなるだろう。」
色で区別させなくても目立たせる方法はたくさんある。そうすれば、見えにくかったあの人にもきっと伝わる。
そしてこれは、色の見え方に関係なく、読む人みんなにとって分かりやすいんです。
色が見える人にとっても、速く正確に認識できます。
これが「ユニバーサルデザイン」の概念です。
特別な誰かのための配慮、という話ではないのだと思いました。
ごく普通のビジネスの資料に取り入れられれば、伝わる力そのものが上がる。
同じ紙、同じ手間で、届き方が変えられるんだ!
見えていなかったのは、私のほうだった
いま振り返って思うのは、あのとき「あの人は色弱なんだな」で終わらせてしまった自分のこと。
聞こえていたのに、聞いていなかった。目の前で人が困っていたのに、深く考えることさえしなかったのです。
先日、その方にお会いする機会があって、「私が今この仕事をしているのは、あのとき言っていたことがヒントなんですよ!」とお伝えしました。
「俺、そんなこと言ったか?!」
笑っていました。ご本人は、覚えていないんです。
たぶんそれが、現場の困りごとの本当の姿なのだと思います。
困っている人自身にとっても、わざわざ覚えておくほどのことではない。
会議の議題に上がるわけでもなく、改善要望として提出されるわけでもない。
誰かの独り言として一瞬こぼれて、そのまま消えていく。
だから誰にも届かないまま、ずっとそこにある。
だから私は、工場や事務所にお伺いしたとき、業務連絡だけでなくいろんなお話がしたいんです。
相手本人も気づいてない心のつぶやきがないか。使いにくそうに触られているものはないか。
あの日の私に見えていなかったものを、いまは見ようとしています。
次回は、元の数字は同じなのに何度も書き写していた、営業事務時代の話を書きます。


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